EIGHT-JAM 2026年10月18日「山下達郎特集 完結編」音楽を続けるということ

MUSIC

先週のEIGHT-JAMは、山下達郎特集の完結編だった。

前編では、37年ぶりのライブアルバム『JOY 2』や、600公演以上の記録をExcelで管理している話が印象に残った。後編は歌声やフェイクの話から始まり、最後は音楽を続けるとはどういうことなのか、というところまで進んだ。

山下達郎ならではのキャリアの積み重ねが見えた回だったと思う。自分用のアーカイブとして残しておきたい。

特別な声にも、本人には不安がある

SUPER BEAVERの渋谷龍太からの質問は、「どうしてそんな声が出るんですか?」という、とても単純なものだった。

山下達郎の答えも「やったらできた」というシンプルなもの。中学生のころ、友人とビーチ・ボーイズを演奏するために裏声を出したら出た。友人の家の離れで、夜中まで声を出せる環境にも恵まれたという。

ロングトーンについても、特別な呼吸法や大きな肺活量があるわけではないと話していた。できることを若いころから続け、身体に定着させてきたのでしょうね。

ただ、73歳になった現在は、いつ声が出なくなるかという漠然とした怖さがあるとも話していた。「今日もなんとか大丈夫だった」と思いながら歌っているという。

あれだけの声を保っている人でも、不安がなくなるわけではない。長く続けてきたからこそ、できることが永遠ではないと分かっているのでしょう。

歌うときに大切なのは平常心

Penthouseの大島真帆とOmoinotakeの藤井怜央からは、フェイクの作り方や、歌うときに何を意識しているのかという質問があった。

フェイクは、ヤング・ラスカルズのフェリックス・キャヴァリエなど、若いころに聴いた歌手から大きな影響を受けたという。突然生まれたものではなく、好きで聴き続け、まねをしてきたものが自分の歌になっている。

歌うときの言葉は「平常心」と「客観性」だった。感情を入れすぎると歌が荒くなる。暗い曲は少し明るく、明るい曲は少し抑えて歌う。自分の声だけに入り込まず、後ろの演奏まで確認しているという話も面白かった。

歌を前に出すのではなく、バンド全体の音の中に自分の声が座れる場所を作る。前編で話していたライブの「再現性」と「裏切り」にもつながる考え方だと思う。

本番では次の歌詞を考えず、無心になるという。それでも歌詞を忘れることはあるし、そのときはむせたふりをしたり、マイクのせいにしたりする。どうにもならなければ、止めてもう一度やる。完璧な人の話ではなく、失敗したときの話まで普通にするところもよかった。

長く続けるには、音楽以外のことも考える

Omoinotakeの藤井怜央からは、70代になっても新曲を作り、毎年ツアーを続けるには何を意識すればいいのか、という質問があった。

山下達郎は「人生は70%が運」だと答えた。ただし、運だけの話では終わらない。

プロとして長く続けるなら、お金や契約に冷静でなければならない。売れているときは大切にされても、売れなくなれば状況は変わる。自分の表現と商売をどう共存させるのか。自分だけでなく、バンドやスタッフの生活もある。

音楽番組で契約やお金の話をすると、少し地味に聞こえるかもしれない。しかし、50年続けてきた人が話すと重みがある。好きなことを続けるには、好きなことだけを見ていればいいわけではないのですね。

売れることだけを目標にせず、自分が何を表現したいのかは守る。その一方で、続けるための現実からも逃げない。山下達郎が長く音楽を続けられたのは、この両方を考えてきたからだと思う。

何度も「もう終わりかな」と思った

山下達郎にも、思うように活動できない時期があった。

1990年代前半から2000年代半ばにかけては、思うようにレコードを出せず、ライブもできず、バンドのメンバーを引き抜かれるなど、いろいろなことが重なったという。何度も音楽活動をやめようと思ったそうだ。

それでも再びツアーを始められたのは、待っていた観客がいたからだった。長くライブをしていなければ、普通は動員が落ちる。しかし、以前と同じペースでツアーを続けられるほどお客さんが残っていた。

才能と努力だけで50年続けた、と本人は言わない。声が大きく衰えなかったこと、観客が待っていたこと、さまざまな幸運が重なって今があると話す。

華やかな成功の後ろには、活動できなかった時間もある。その時間が消えずにキャリアの一部となり、『JOY 2』には2008年から2025年までのライブが収められた。続けたからこそ、不遇だった時期も後から一本の線につながったように思う。

「音楽だけは自分を裏切らなかった」

今回、いちばん残ったのは「音楽だけは自分を裏切らなかった」という言葉だった。

高校時代からいろいろなことがあり、傷つくことも損をすることもあった。それでも、音楽だけは常に自分の味方だった。だから音楽を続けているのだという。

これは、単に「好きだから続けた」という話とは少し違う。自分には本当に音楽でなければならないのか。音楽を続けるためには、どのような働き方をすればいいのか。何度も問い続けてきた末の言葉なのだと思う。

そして山下達郎は、それはミュージシャンだけの問題ではなく、会社員も含めて生きている人はみんな同じだと話していた。

僕も60歳を過ぎ、これから仕事をどうするか、残りの人生をどう過ごすかを考えることが増えた。山下達郎とはまったく違う人生ですが、今まで積み重ねてきたものの中で、自分に残るものは何なのか。少し考えさせられた。

竹内まりやが見てきた山下達郎

番組の最後には、竹内まりやから特別コメントがあった。

1979年、日本青年館で山下達郎のソロライブを見たとき、海外アーティストを上回るほどの歌唱と演奏に衝撃を受けたという。自分のデビューコンサートを一週間後に控え、逃げたくなるほど打ちのめされたそうだ。

『JOY』には28歳から36歳、『JOY 2』には55歳から72歳の歌唱と演奏が収められている。竹内まりやは、若いころと遜色がないだけでなく、年齢を重ねたことで歌声や歌詞がより深く響くようになったと話していた。

山下達郎本人は、次の『JOY 3』『JOY 4』や、過去作品のリマスター、アナログ盤についても語っていた。キャリアが長いほど、整理して残すべき作品は増えていく。それを本人は「終活」と表現していたが、過去を片づけるというより、次の時代に渡せる形へ作り直しているように見える。

続けることは、同じことを繰り返すことではない

前編では、600公演以上のライブを記録し、一つずつ聴き直す姿に驚いた。完結編では、その作業を続けられた理由が少し見えた。

運があり、観客に求められた。自分の声や演奏を磨き、契約や生活も考えた。活動できない時期には、音楽を続ける別の方法を考えた。そのすべてが現在の山下達郎につながっている。

キャリアを積み重ねることは、毎年同じように成功することではない。できない時期や迷った時間も含めて、自分にとって大切なものを問い続けることなのでしょう。

音楽を続けるとはどういうことなのか。ミュージシャンでなくても、自分の仕事やこれからの生き方に置き換えて聞くことができた。山下達郎だから話せる、いい完結編だったと思います。

番組と作品の公式情報

※この記事は、2026年10月18日放送のEIGHT-JAMと添付された文字起こしをもとに、自分用のアーカイブとしてまとめました。文字起こしには聞き取り違いが含まれる可能性があるため、放送日時と番組概要は公式情報で確認しています。

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