青山直樹さんのnoteに、フリーマガジン「Golf&Lifestyle Magazine Go!gol.」を作っていた頃の話が出ていました。
Go!gol.は、僕も地下鉄の構内で見かけるとよくもらっていました。無料なので手に取ったのですが、いわゆる駅に置いてあるフリーペーパーとは少し違いました。写真が多く、紙面もきれいで、ゴルフの記事だけではなく、車や旅行、食事なども載っていた。無料なのに、ちゃんとした雑誌を読んでいる感じがありました。
そのGo!gol.を作った人が、どのようなことを考えていたのか。実際に読んでいた側からすると、なかなか面白い記事でした。
無料誌だけど、無料誌に見えなかった
青山さんは、Go!gol.について、大手雑誌と発行部数や広告枠の価値で競うのではなく、写真、グラフィックデザイン、編集、コピーなどの制作力で勝負したと書いています。
広告の「枠」を売るのではなく、Go!gol.が作る「中身」を売る。広告主も、単に1ページを買うのではなく、Go!gol.らしい誌面や世界観を求めていたそうです。
読者だった僕が感じていた「フリーペーパーにしては、ずいぶん写真が多くて内容も面白い」という印象は、偶然ではなかったわけです。無料誌に見えないものを作ろうとして、実際にそこへ力を入れていた。作り手の狙いは、読む側にも伝わっていました。
フリーペーパーがよかった時代は終わった
Go!gol.が出ていた頃は、駅や店に置かれたフリーペーパーを手に取る機会が多くありました。R25もそうでしたし、地域の情報誌や求人誌もありました。
しかし、紙の無料誌は広告収入で制作費、印刷費、配送費をまかなわなければなりません。Web広告のように、何人が見て、何人が商品を買ったのかを細かく示すことも難しい。広告主が効果を数字で求めるようになると、紙のフリーマガジンは厳しくなります。
紙が悪くなったというより、情報を受け取る場所が変わったのでしょうね。以前は駅でGo!gol.を見つけましたが、その後はGoogle検索からWebサイトへ行き、いまはXやInstagram、YouTubeから情報が流れてきます。
さらに生成AIが入ってきました。調べたいことを入力すると、AIが複数のサイトを読んだような形で答えをまとめます。僕自身、検索結果に出たAIの説明だけを読んで、サイトへ行かないことがあります。以前書いたゼロクリックの話です。
次の媒体を当てても仕方がない
紙の次はWeb、Webの次はSNS、その次はAI。こう並べると、新しい媒体が古い媒体を順番に置き換えているように見えます。
でも、「これからはnoteだ」「これからは動画だ」「これからはAIだ」と次の媒体を当てにいっても、その答えは長く続かないように思います。発信する場所も、そこで使われる仕組みも、これからまた変わるでしょう。
変わりにくいのは、元になるコンテンツです。
一つの経験があれば、ブログでは詳しく書けます。Xなら短く感想を書ける。動画なら実物を見せられます。AIがその内容を参照して、誰かの質問へ答えることもあるかもしれません。
コンテンツが本体で、媒体は出口。
Go!gol.の「媒体ではなくコンテンツ力で勝つ」という考え方は、紙の時代の話ですが、いまのほうが分かりやすくなっている気がします。
AIが作りにくいものを持っているか
ただし、良い文章を書けば残れる、というだけでもなさそうです。AIは文章を作り、画像を作り、長い資料を短くまとめることができます。どこにでもある説明なら、わざわざ個人のブログまで読みに行かなくても答えが出ます。
それでも、人が書かなければ生まれないものがあります。
- 実際に地下鉄でGo!gol.を手に取った記憶
- ゴルフクラブを測定して残した数値
- 買って使ってみたときの感想
- 失敗して、調べて、解決した記録
- 同じ趣味を何年も見続けてきた人の変化への気づき
AIは、それらを整理することはできます。しかし、最初の経験までは作れません。誰かが実際に見たり、使ったり、考えたりして記録しなければ、AIが参照する材料もなくなります。
僕のブログにしても、商品の一般的な説明だけならAIで済むでしょう。でも、昔はどのクラブを使っていたのか、なぜ買い替えたのか、そのとき何を心配していたのかは、自分で残しておく意味があります。アクセス数とは別に、あとから自分で読み返せる記録にもなります。
「何が書いてあるか」と「誰が書いたか」
Webでは長い間、検索される言葉を使い、疑問に対する答えを分かりやすく書くことが大切でした。それはいまも必要です。
ただ、答えだけならAIが先に出してくれます。そうなると、読み手がわざわざ元の記事へ行く理由は、「何が書いてあるか」だけではなくなります。
この人は実際にどう感じたのか。この人ならどう考えるのか。前に書いていたことから、考え方は変わったのか。
昔は「Numberだから読む」「BRUTUSだから買う」「Go!gol.だからもらう」という、媒体への信頼がありました。SNSでは、媒体よりも人を見に行くことが増えました。これからは個人の経験や、長く積み重ねた記録そのものが、その人の媒体価値になるのかもしれません。
紙がなくなっても、編集はなくならない
元の記事で印象に残ったのは、紙媒体が厳しくなっても、編集は負けていないという話です。
情報が少なかった頃は、情報を集めること自体に価値がありました。いまは反対に、情報が多すぎます。AIを使えば、さらに大量の文章や画像を作れます。
だから、何を選ぶのか。どの順番で見せるのか。何を省くのか。どこに自分の経験を入れるのか。そうした編集の役割は、むしろ大きくなっていると思います。
Go!gol.で写真が多かったことにも意味があったのでしょう。ゴルフクラブのスペックを並べるだけではなく、車、旅、食、ファッションを一緒に見せることで、「ゴルフのある生活」を作っていた。僕が面白いと思って持ち帰ったのは、個々の記事だけではなく、編集された一冊の雰囲気だったのだと思います。
これからブログはどうなるのか
正直なところ、分かりません。検索から来る人は減るかもしれない。SNSも仕様が変われば届き方が変わります。AIが記事を要約して、元のサイトへ誰も来ないことも増えるでしょう。
それでも、書いたものまでなくなるわけではありません。
自分にしか書けない経験を残す。それをブログ、note、Xなど、そのとき使いやすい場所へ出す。媒体ごとの数字を追いかけるより、元になるコンテンツを少しずつ増やしていく。個人で続けるなら、そのくらいがちょうどよさそうです。
Go!gol.は紙のフリーマガジンでした。でも、地下鉄で手に取った僕の中には、いまも「写真が多くて面白かった雑誌」として残っています。
発信媒体は変わっても、面白いものは記憶に残る。結局、これからもそこなのでしょうね。


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