言語化したい、でも言葉にならない。だったら、どうする?

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情報が多い。毎日、読んで、見て、聞いて、考える。頭の中にはたしかに何かがある。「これ、わかった気がする」「これ、面白い」「これ、ちょっと違う気がする」。そういう感触が積み上がっていく。

でも、いざ言葉にしようとすると、何かがすり抜けていく。

言語化ブームの正体

書店に行くと「言語化」という言葉を冠した本が並んでいる。2025年の刊行点数は前年比で倍増したという話もある。なぜ今、これほど「言語化」が求められているのか。

思うに、表現する場が増えすぎたのだと思う。

SNSがある。ブログがある。Xがある。Instagramがある。誰もが発信できる時代になって、逆に「うまく言えない」という焦りが生まれた。「あうんの呼吸」が通じる相手だけに語りかけていた時代は終わった。顔の見えない相手に、文脈を共有していない誰かに、自分の思いを届けなければならない。

だから言葉が必要になった。だから言語化が必要になった。

でも、そこで少し立ち止まって考えてしまうことがある。言語化って、誰に向けてするものなんだろう?

言語化には向きがある

自分なりに整理してみると、言語化には三つの向きがあると思っている。

1.自分に向けた言語化。頭の中のもやもやを整理する。書くことで、自分が何を感じていたのか初めてわかる。日記に近い。

2.思考そのものとしての言語化。言葉にしようとするプロセスで、考えが生まれる。書く前には存在しなかった考えが、書くことで生まれてくる感覚。これが一番深いかもしれない。

3.他者に向けた言語化。伝えること。相手の文脈に合わせて翻訳する作業。

僕の場合、理想の順番は1→2→3だ。まず自分のために言葉にして、その過程で考えが深まって、それが誰かに届けばいい。でも、いつもそうとは限らない。伝えたい気持ちが先に来て、3→2→1になることもある。どれが正しいというわけでもなく、そのときの自分の必要に応じて変わる。

AIと自分の言葉のあいだで

最近、AIを使うことがある。語彙の問題もあるし、うまく整理できないときに助けてもらうこともある。

ただ、困ったことがある。AIは賢いぶん、難しい言葉を選びがちだ。「端的に言語化すると〜」とか「本質的な問いを提起するならば〜」とか、なんか違う。じゃあ口語調でと頼むと、今度は急にくだけすぎて、それはそれで気持ち悪い。

自分の言葉ってなんだろう、とよく思う。

好きな作家のエッセイを読むと、するすると読めてしまう。リズムがあって、余白があって、言い切らないところに味がある。「こんな文章が書けたら」といつも思う。でもそれは真似したいのではなくて、そういうリズムを自分の中に持ちたいということなのだと思う。

自分の言葉は、最初からあるものじゃなくて、書いたり読んだり失敗したりしながら、少しずつ見つかっていくものなのかもしれない。

言語化は完成しない

脳内では言語化できている気がする。でも文字にすると違う。

たぶんこれは、頭の中にあるのが本当の意味での「言葉」ではないからだと思う。感覚やイメージや感情の塊が「言葉っぽいもの」として処理されているだけで、それを実際に言葉に変換しようとすると、どこかでズレが生じる。

そのズレこそが、言語化の核心なのかもしれない。

言語化を「うまくなるもの」「完成させるもの」として捉えると、どこかで行き詰まる気がする。そうではなくて、ずっと手探りで続けていくものとして捉えたとき、なんか楽になった。

思ったことをどう表現するか。どう言語化するか。それを考えながら一生過ごせたら、それはそれで面白い人生だと思う。

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