団野大成騎手の騎乗停止と繰り返されるスマホ問題
2025年9月10日、日本中央競馬会(JRA)は、団野大成騎手(25)に対し、通信機器(スマートフォン)の不適切な持ち込みを理由に、2日間の騎乗停止処分を科したと発表しました。JRAの発表によれば、団野騎手は9月5日夜、中山競馬場の調整ルームに入室する際、所持していた2台のスマートフォンのうち1台を専用ロッカーに預け忘れたとのことです。入室後、他の騎手の部屋で談笑した際にそのスマートフォンが入った荷物を置き忘れ、翌日のレースに騎乗。6日の競馬終了後、JRA職員が発見したことで事態が発覚しました。読売新聞の報道によると、JRAがスマートフォンの履歴を調査した結果、調整ルーム入室後の使用履歴は確認されなかったとされています。

2日間の騎乗停止処分を受けた団野大成騎手(画像はイメージ)
「うっかり預け忘れた」という過失であり、悪質性や常習性も認められなかったことから、処分は2日間という比較的軽微なものにとどまりました。しかし、この一件は単なる一個人のミスとして片付けられる問題ではありません。JRAの歴史を振り返ると、同様のスマートフォン持ち込み事案は後を絶たず、近年その頻度と深刻さを増しています。2023年には6名の若手騎手が同時に30日間の騎乗停止処分を受け、2024年にはトップ女性騎手として絶大な人気を誇った藤田菜七子騎手が同様の問題で引退に追い込まれるという衝撃的な出来事もありました。さらに、1年間の長期騎乗停止処分を受け、引退を申し出た永野猛蔵騎手の例など、騎手生命そのものを揺るがす重大な事態に発展するケースも少なくありません。
なぜ、これほどまでに厳しいルールが課され、厳罰が下されているにもかかわらず、騎手によるスマートフォンの不適切使用は繰り返されるのでしょうか。本稿では、団野騎手の事例を入口としながら、この問題の根底に横たわる構造的な要因を多角的に分析します。JRAが掲げる「公正確保」という大原則、現代社会におけるスマートフォンの位置づけ、そして「調整ルーム」という日本独自のシステムが抱える矛盾点などを深掘りし、なぜこの問題が根絶されないのか、その本質に迫ります。
JRAがスマホを厳しく禁じる理由:競馬の「公正確保」という大原則
JRAをはじめとする公営競技において、通信機器の取り扱いが厳しく制限されている根源には、「競馬の公正を確保する」という揺るぎない大原則が存在します。ファンが投じる一票一票、すなわち馬券の売上によって成り立っている競馬事業にとって、その信頼性の根幹である「公正さ」が少しでも揺らげば、制度そのものが崩壊しかねません。この「公正確保」を具現化するための物理的な仕組みが、「調整ルーム」と呼ばれる施設です。
JRAでは騎手に対して、騎乗日前日の午後9時までに競馬場併設の調整ルームへの入室を義務付けている。外部との接触を遮断することで、情報の漏洩(えい)を防ぎ、公正を確保することが目的だ。
この調整ルーム制度の目的は、大きく二つに集約されます。
八百長行為の徹底的な防止
最大の目的は、八百長、すなわち不正なレースの操作を防ぐことです。スマートフォンなどの通信機器を使えば、騎手は外部の人間と容易に連絡を取ることが可能になります。これにより、特定の馬を意図的に勝たせる、あるいは負けさせるといった不正な指示を受けたり、共謀したりするリスクが生まれます。ある競馬関連ブログでは、「スマートフォンなどの通信機器を使えば、レース結果や情報を外部に漏らしたり、逆に外部から不正な指示を受け取ることが可能になる」と、その危険性を端的に指摘しています。レースの着順が金銭のやり取りによって左右されるようなことがあれば、それはもはやスポーツではなく、単なる詐欺行為です。ファンからの信頼を完全に失い、公営競技としての存在意義を失うことになります。そのため、レースに関わる騎手を外部から物理的に隔離し、不正が入り込む余地を徹底的に排除する必要があるのです。
内部情報の漏洩阻止
もう一つの重要な目的は、インサイダー情報の漏洩を防ぐことです。騎手は、調教の様子や当日の馬のコンディション(体調、気配など)といった、一般のファンが知り得ない極めて機微な情報にアクセスできる立場にあります。これらの情報は馬券の予想に直結するため、もし特定の人物にだけ漏洩すれば、著しく公平性を欠くことになります。例えば、有力馬の体調が思わしくないといった情報が外部に伝われば、その情報を得た者だけが有利に馬券を購入できてしまいます。こうした不公平を防ぐためにも、騎手がレース終了まで外部と情報をやり取りできない環境を維持することが不可欠なのです。
この原則に基づき、JRAは具体的なルールを定めています。騎手は騎乗前日の21時までに調整ルームに入室し、所持するスマートフォンやタブレットなどの通信機器はすべて、施錠された専用ロッカーに預けなければなりません。産経新聞の記事によれば、このルールは2011年以降に整備され、違反が相次いだことを受けて2023年5月からは職員の立ち会いや防犯カメラでの確認など、運用がさらに強化されています。このルールは調整ルーム内だけでなく、レース当日に騎手が控室として使用する「ジョッキールーム」への持ち込みも固く禁じられています。競馬は単なるスポーツではなく、国民の財産を預かる公営ギャンブルであるという特殊性から、他のプロスポーツと比較しても格段に厳しい自己規律が求められるのです。
なぜ違反は繰り返されるのか?背景にある4つの構造的要因
JRAが「公正確保」を至上命題として厳格なルールを課し、違反者には厳しい処分を下しているにもかかわらず、なぜスマートフォンの不適切使用は後を絶たないのでしょうか。この問題は、単に個々の騎手のプロ意識の欠如だけに帰結するものではありません。そこには、違反の態様の多様性、世代間の価値観のギャップ、日本独自の制度的矛盾、そして対策の限界といった、複数の構造的な要因が複雑に絡み合っています。
1. 違反の多様性:「うっかりミス」から「意図的な不正」まで
「スマホ問題」と一括りにされがちですが、その内実は一様ではありません。違反の態様は、悪意のない過失から、ルールを意図的に破る悪質なものまで、幅広いスペクトラムに分布しています。そして、JRAが下す処分の重さも、その悪質性の度合いに応じて大きく変動します。
過失型:団野大成騎手のケース
今回の団野騎手の事案は、この「過失型」の典型例と言えます。彼は業務用と私用の2台のスマートフォンを所持しており、入室時に慌てていたため、1台を預け忘れてしまいました。報道によれば、JRAの調査で入室後の通信・通話履歴やアプリの使用履歴は一切確認されず、不正行為への意図はなかったと判断されました。このような「業務上の注意義務違反」と見なされるケースでは、処分は数日間の騎乗停止といった比較的軽微なものになる傾向があります。
認識不足型:2023年若手騎手6名の一斉処分
2023年5月、今村聖奈騎手ら当時18歳から22歳の若手騎手6名が、30日間(開催日10日間)の騎乗停止処分を受けるという前代未聞の事態が発生しました。彼らはジョッキールームにスマートフォンを持ち込み、ネット動画を閲覧したり、認定調整ルーム(ホテル)に宿泊していた騎手同士で通話したりしていました。当時のJRA審判部長の会見内容を報じた記事によると、「外部や第三者との連絡はダメということで、騎手同士でするものは、許されるのではないかという誤った解釈があった」とされています。つまり、公正確保を脅かす外部との接触さえしなければ問題ないだろう、というルールの拡大解釈・誤解があったのです。これは意図的な不正とは異なりますが、ルールへの理解が不十分であったという点で、過失よりも重い処分が科されました。
意図的・常習型:藤田菜七子騎手、永野猛蔵騎手のケース
最も深刻なのが、ルールを熟知した上で意図的に違反するケースです。2024年10月に引退した藤田菜七子騎手は、週刊誌報道をきっかけに過去の不正使用が発覚し、騎乗停止処分を受けた直後に引退届を提出しました。また、永野猛蔵騎手は、スマートフォンを2台所持し、1台だけを預けるという偽装工作を行った上で、調整ルームに持ち込んだもう1台で外部と通信していたことが発覚。報道によれば、その悪質性から1年間という極めて重い騎乗停止処分が下され、結果的に引退に至りました。同様に、水沼元輝騎手も偽装工作を含む複数回の違反で9ヶ月の騎乗停止処分を受けています。これらのケースは、単なる注意義務違反や認識不足とは一線を画す、「公正確保」の根幹を揺るがしかねない重大な非行と見なされ、騎手生命を絶つほどの厳しい結果を招いています。
違反態様と処分の関係性
近年の主なスマートフォン関連事案を整理すると、違反の悪質性と処分の重さには明確な相関関係が見られます。この違いを理解することは、問題の全体像を把握する上で不可欠です。
2. Z世代の価値観と「スマホネイティブ」という現実
違反が特に若手騎手に集中している事実は、この問題が世代間の価値観のギャップ、いわゆる「ジェネレーションギャップ」と深く関わっていることを示唆しています。現代の若者、特に「Z世代」と呼ばれる層にとって、スマートフォンは単なる通信手段ではありません。情報収集、エンターテインメント、友人とのコミュニケーション、自己表現のすべてを担う、文字通り「身体の一部」とも言える存在です。
2023年の若手6騎手一斉処分の際に報じられた記事では、この事件を「Z世代のジェネレーションギャップが生んだ事件」と分析し、「ネットとの距離も近くスマホでのネット閲覧が“日常のこと”として刷り込まれる環境で育ってきた」と指摘しています。彼らにとって、レース前の数日間、外部世界との接点を完全に断たれることは、旧世代が想像する以上のストレスや孤独感、閉塞感をもたらす可能性があります。それは単に「家族と連絡が取れない」というレベルに留まらず、社会から切り離される感覚に近いのかもしれません。
この構造は、JRAの騎手を養成する競馬学校で顕在化しています。2025年9月、競馬学校の42期生から退学者や留年者が相次ぎ、1982年の開校以来初めて、翌春にデビューする新人騎手が一人もいない「卒業生ゼロ」という異常事態に陥ったことが報じられました。その背景には、厳しい体重管理に加え、「通信機器の使用ルールを守れなかったこと」があったとされています。相次ぐプロ騎手の不祥事を受け、将来の担い手である候補生に対して指導を強化した結果、現代の若者の価値観との間に深刻な軋轢が生まれ、才能ある若者が夢を諦めるという皮肉な結果を招いている可能性が指摘されています。

もちろん、これは若手騎手の違反を擁護するものではありません。現役競輪選手からは、「意味があろうがなかろうが定められたルールを守る人間じゃないと職業人に向いてない」「スポーツ選手じゃなくてギャンブルの駒を養成する所だぜ」といった厳しい意見も出ています。公営競技の担い手として、ファンのお金を預かっているという自覚を持ち、ルールを遵守するのは当然の責務である、という正論です。この問題は、「スマホネイティブ」世代の価値観と、公営競技に求められる絶対的な規律遵守という、相容れない二つの現実の狭間で揺れ動いているのです。
3. 「調整ルーム」という日本独自のシステムが抱える矛盾
問題をさらに複雑にしているのが、違反の舞台となる「調整ルーム」というシステムそのものが、国際的に見れば極めて特殊な、日本独自のものであるという事実です。八百長を防止し公正を確保するという目的は万国共通ですが、そのための手段として、騎手をレース前から完全に隔離するという方法は、世界の競馬先進国では採用されていません。
海外競馬に詳しい専門家は産経新聞の取材に対し、欧米には調整ルーム自体が存在しないと指摘しています。その背景にあるのは「紳士協定と人権意識」です。騎手はプロフェッショナルとして、そもそも八百長に関与するような反社会的な勢力とは関わらないという倫理観が共有されていることが前提となっています。もちろんルールは存在し、例えばイギリスでは、レース直前に騎手が集まる検量ルーム内での通信は禁止されていますが、その近くには通信が可能なスペースが設けられているといいます。
この違いの根底には、人権に対する考え方の差も存在します。専門家は、「通信機器を制限して、極端な事例だが生まれたばかりの子供の映像が見られない、家族の安否を知ることができないとなれば人権問題になるから」と解説しています。プライバシー権や私生活を尊重する権利は、現代社会における基本的な人権の一つです。競技に参加するために、外部との連絡を完全に絶つことを強制する日本のシステムは、こうした観点から見ると、時代にそぐわない過剰な制約ではないか、という疑問が生じます。
なぜ日本ではこれほど厳格なシステムが採用されているのでしょうか。一つの理由として、日本ではレースを主催するJRAと、馬券を発売する胴元が同一であるという事業構造が挙げられます。一方、海外ではレース主催者と、賭けを提供するブックメーカーが分離しているのが一般的です。主催者自身が賭けの収益に直接関与する日本のモデルでは、不正行為に対する疑念を払拭するため、より一層厳格で可視化された公正担保措置が求められるという側面があるのです。
しかし、八百長防止という目的が正当であるとしても、その手段である「完全な物理的隔離」が、スマートフォンが社会インフラとなった現代においても最適解であり続けるのかは、再検討の余地があるでしょう。この日本独自のシステムが、結果として騎手に多大な精神的負担を強い、ルール違反を誘発する一因となっている可能性は否定できません。制度そのものが「制度疲労」を起こしているのではないか、という視点からの検証が求められています。
4. 処分の厳格化とJRAの苦悩
違反が発覚するたびに、JRAは再発防止策を講じ、ルールの厳格化を図ってきました。しかし、その歴史は、まるで「イタチごっこ」の様相を呈しています。
2011年に通信機器をロッカーに預けるルールが導入された後も、違反は散発的に発生していました。特に2023年以降、若手騎手の一斉処分や藤田菜七子騎手の引退といった社会的な注目を集める事件が相次いだことで、JRAは対応をさらに強化せざるを得なくなりました。職員の立ち会いによる確認強化や防犯カメラの設置に加え、2024年11月には、さらなる再発防止策として「調整ルーム入室時の手荷物検査」や「移動騎手へのスマートフォン履歴検査」の導入を発表しました。これは、過去にスマートフォンを2台持ち込み1台だけ預けるといった悪質な偽装工作があったことを受けた措置であり、性善説に基づいた自主的なルール遵守だけでは限界があるという、JRAの苦しい立場を浮き彫りにしています。

さらに、他の公営競技では、より踏み込んだ対策が導入されています。ボートレースでは2020年にゲート式金属探知機が導入され、競輪では2025年8月から、通信機能を持つ可能性があるとして電子タバコの持ち込みまで禁止されるようになりました。JRAも将来的には金属探知機の導入などを検討する可能性があり、騎手のプライバシーと公正確保のバランスは、ますます後者に傾かざるを得ない状況です。
しかし、こうした物理的な対策の強化や、競馬学校でのコンプライアンス教育を徹底しても、違反が根絶できていないという現実は重くのしかかります。それは、この問題が単に個人の意識や教育の問題だけでなく、前述した世代間の価値観のズレや、時代に合わなくなった制度そのものに根差す、より根深い構造的問題であることを示唆しています。JRAは、公正確保という絶対に譲れない一線を守るために、出口の見えない対策強化の道を歩み続けているのです。
スマホ問題が競馬界に与える深刻な影響
繰り返されるスマートフォンの不祥事は、単にルール違反というだけでなく、競馬界全体に深刻で多岐にわたるダメージを与えています。その影響は、スター騎手の喪失による人気の低下から、将来を担う人材の育成危機、そしてファンからの信頼の揺らぎにまで及んでいます。
スター騎手の喪失とイメージダウン
最も象徴的で、ファンに衝撃を与えたのが、2024年10月の藤田菜七子騎手の引退です。JRA所属の女性騎手として史上最多勝記録を持ち、その可憐なルックスと確かな実力で競馬界の枠を超えた人気を誇った彼女が、キャリアの絶頂期にターフを去るという決断を下しました。処分が二重に科されたことへの不服を師匠が唱えるなど、その経緯には同情的な声も多く上がりましたが、結果として競馬界はかけがえのない「ヒロイン」を失いました。スター選手の存在は、新たなファンを呼び込み、業界全体を活性化させる原動力です。人気騎手が不祥事によってキャリアを絶たれることは、競馬のスポーツとしての魅力を損ない、ファン離れを加速させる大きなリスクとなります。
人材育成への深刻な打撃
問題の影響は、未来の競馬界を担う人材育成の現場にも暗い影を落としています。前述の通り、JRA競馬学校の42期生が「卒業生ゼロ」となる開校以来の異常事態は、その最たる例です。報道によれば、応募者192人の難関を突破した7人のうち、4人が退学、3人が留年という結果になりました。その理由として、体重管理の問題と並んで「ルールを守れなかった」ことが挙げられており、その中には通信機器の使用問題も含まれていると見られています。プロ騎手の不祥事を受けて学校側が指導を厳格化したことが、かえって現代の若者の反発を招いたり、厳しい規律に耐えきれずに夢を断念させたりしている可能性があります。騎手という職業が、才能ある若者にとって魅力のない、あるいは非現実的な選択肢と見なされ始めれば、長期的に競馬界のレベル低下を招くことは避けられません。
「公正確保」への信頼の揺らぎ
皮肉なことに、「公正確保」のために設けられたルールを巡る不祥事が繰り返されることで、JRAが最も守ろうとしている「公正確保」そのものへの信頼が揺らいでいます。ファンは、「またか」という諦めや、「見えないところではもっと多くの違反があるのではないか」という疑念を抱きかねません。ファンが安心して馬券を購入できるのは、「すべての関係者がルールを遵守し、レースは公正に行われている」という絶対的な信頼があってこそです。その信頼が損なわれれば、競馬の根幹が崩れてしまいます。JRAは、違反のたびに厳しい処分と対策強化で信頼回復に努めていますが、問題が根絶されない限り、信頼の基盤は少しずつ侵食され続けていくでしょう。
キーポイント:スマホ問題がもたらす負のスパイラル
- 不祥事の発生:騎手によるスマホの不適切使用が発覚する。
- 信頼の低下:ファンの間に不信感や疑念が広がる。
- スターの喪失:人気騎手が引退などに追い込まれ、業界の魅力が低下する。
- ルールの厳格化:JRAは再発防止のため、規則や罰則、監視体制を強化する。
- 人材育成への影響:厳しすぎる環境が若者の意欲を削ぎ、競馬学校で退学者・留年者が続出する。
- 担い手不足の懸念:将来の騎手不足が、競馬開催そのものを脅かすリスクとなる。
この負のスパイラルは、競馬界の持続可能性そのものを脅かす深刻な課題です。
結論:競馬界が向き合うべき「公正」と「現代」のジレンマ
団野大成騎手の軽微な「うっかりミス」から始まった本稿の分析は、JRAのスマートフォン問題が、単なる個人のルール違反や意識の低さに起因する単純な問題ではないことを明らかにしました。それは、「公正確保という競馬の至上命題」「スマートフォンと共に生きる世代の価値観」「八百長防止という目的と時代に合わなくなった手段の乖離」「対策と違反の終わらないイタチごっこ」といった、複数の要因が複雑に絡み合う、根深い構造的問題です。
この問題に対する処方箋は、決して簡単ではありません。議論は、二つの対立する極へと収斂していきます。
一つは、**「ルールは絶対である」**という立場です。公営競技の担い手である以上、ファンから預かるお金の重みを自覚し、いかなる理由があろうとも定められたルールを遵守すべきだという考え方です。この立場に立てば、解決策はさらなる教育の徹底、監視の強化、そして違反者への厳罰化ということになります。時代に合わないと感じるなら、騎手を辞めるべきだ、という厳しい自己責任論にもつながります。
もう一つは、**「ルールの見直しが必要である」**という立場です。八百長防止という目的は堅持しつつも、その手段である「完全な外部からの隔離」というアプローチが、現代社会の実情や騎手の人権、精神的健康とそぐわなくなっているのではないか、と問い直す考え方です。この立場に立てば、海外の事例を参考に、プライバシーに配慮しつつも不正は防止できるような、よりスマートで現代的な新しいルールを模索すべきだ、という結論に至ります。
現状、JRAの対応は前者に近いと言えるでしょう。しかし、対策を強化すればするほど、競馬学校の「卒業生ゼロ」問題に象徴されるように、新たな歪みが生じているのも事実です。一方で、安易にルールを緩和すれば、万が一にも不正が発生した場合に取り返しのつかない事態を招くという恐怖も、JRAにはあるはずです。
もはやこの問題は、JRAと騎手という当事者間だけで解決できるレベルを超えているのかもしれません。団野騎手の事例、そして藤田騎手の引退が投げかけた問いを真摯に受け止め、JRA、騎手、馬主、生産者、そして何よりも競馬を愛するファン、さらには社会全体を巻き込んで、現代における「公正確保」のあり方とは何か、そして未来の競馬界が持続可能であるためには何が必要なのかを、オープンに議論する時期に来ているのではないでしょうか。簡単な答えはありません。だからこそ、この根深いジレンマから目を背けず、向き合い続けることが、今、競馬界に求められています。


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