EIGHT-JAMはアーティストの新曲を紹介するだけではなく、作詞や作曲、編曲、演奏について、普段は聞けない話を本人や音楽家から聞ける。音楽理論に詳しくなくても、「この曲はそうやって作られたのか」と分かるのがいいですね。
2026年8月30日は福山雅治特集でした。
福山雅治というと、シンガーソングライターであり、ギタリストであり、俳優でもあります。これだけ長く活動していると、どの姿を最初に知ったかも人によって違うでしょう。
今回は、そのいくつもの顔が別々にあるのではなく、俳優として作品の中へ入る経験が、どのように曲作りへつながっているのかを聞ける回でした。あとで読み返すために、印象に残った話を残しておきます。
2026年8月30日 福山雅治特集
放送は2026年8月30日(日)の23時15分から0時10分。
アーティストゲストは福山雅治、水野良樹(いきものがかり)、松本英子。トークゲストは谷まりあと高橋茂雄(サバンナ)でした。
テレビ朝日の公式紹介によると、福山雅治が手掛けてきたドラマ、映画、アニメ、CMなどの主題歌やテーマソングは、のべ150作以上になるそうです。
改めて数字で見ると多いですね。
「桜坂」や「家族になろうよ」のように福山雅治自身の代表曲として聴いてきた曲もあれば、「ガリレオ」シリーズのように作品と一緒に思い出す曲もあります。
番組では「Squall」「最愛」「vs.~知覚と快楽の螺旋~」「桜坂」「零 -ZERO-」「東京にもあったんだ」「想望」「ヒトツボシ」などを振り返りながら、何を考えて曲を作ったのかを本人が話していました。
音楽の人か、俳優の人か
一番印象に残ったのは、福山雅治がデビューした1990年頃、「音楽の人なんですか、俳優の人なんですか」と聞かれていたという話です。
今なら歌手が俳優をしたり、俳優が曲を作ったりすることは珍しくありません。しかし当時は、どちらの人なのかをはっきりさせる空気が強かったのでしょう。
福山雅治は、どちらかを選ぶのではなく、どちらもやりたかった。そして、どれをやっても福山雅治だと言えるようになるには、両方で突き抜けなければならないと考え、「来たものはすべてやる」と進んできたそうです。
外から見れば、歌も演技も成功した人です。ただ、本人の中には「音楽の人なのか、俳優の人なのか」という見られ方へのコンプレックスがあった。
その迷いがあったからこそ、二つを分けずに自分の表現としてつなげてきたのかもしれません。
「Squall」は松本英子の声から生まれた
松本英子へ提供した「Squall」は、福山雅治が初めて女性の視点で歌詞を書いた曲だと紹介されました。
最初から完成した歌詞を渡したのではなく、まず「ラララ」で歌ってもらい、その声や当時の松本英子の印象に合わせて言葉を当てていったという話が面白かったです。
自分が歌うための曲なら、自分の声や言葉に合わせて作れます。他の人が歌う曲では、その人の声を聴き、どのような言葉なら自然に届くかを考える。
福山雅治は俳優として、自分ではない人物の立場から物語を見ることを続けてきました。「Squall」で女性の視点へ移れたことにも、そうした経験がどこかで生きているように思います。
松本英子本人がスタジオにいて、作った側と歌った側の両方から話を聞けたのもEIGHT-JAMらしいところでした。

「最愛」は湯川ではなく、石神の心から
KOH+の「最愛」は、映画『容疑者Xの献身』の主題歌です。
福山雅治は湯川学を演じています。しかし、曲を書くときに見ていたのは自分が演じる湯川だけではなく、堤真一が演じた石神の報われない思いでした。
主演俳優が自分の役を中心に主題歌を書くのではなく、作品全体を見て、別の登場人物の心へ入っていく。ここに福山雅治の俳優と作曲家の両方の視点が出ています。
俳優は脚本を読み、自分の役だけではなく、相手役との関係や作品全体の流れを考えます。その読み方が、そのまま主題歌の作り方にもなっているのでしょう。
「最愛」は映画を知らなくても一つのラブソングとして聴けます。しかし、石神の心を知ってから聴くと、言葉の重さが変わります。
作品のために作った歌でありながら、作品を離れても聴く人それぞれの歌になる。タイアップ曲の難しさと面白さですね。

「vs.~知覚と快楽の螺旋~」と、うまく作れない強さ
『ガリレオ』のインストゥルメンタル曲「vs.~知覚と快楽の螺旋~」の話も残しておきたいです。
福山雅治は、刑事ドラマのテーマ曲のような音楽を作ろうとし、大野克夫による「太陽にほえろ!」のテーマを意識したと話していました。
ただ、同じように上手に作れないから、結果として別のものになる。
普通なら「できない」「技術が足りない」と考えてしまうところを、それがオリジナリティになると捉えているのが面白いですね。
好きな音楽をそのまま再現できれば、それは模倣に近づきます。自分の技術、自分のギター、自分の癖を通すと、同じものを目指しても違う音になる。
福山雅治ほどの人でも、自分にできないことを意識している。ただ、それを弱点のままで終わらせず、自分の音へ変えているのだと思います。

主題歌は自分の歌であり、自分だけの歌ではない
福山雅治は、主題歌について、自分の歌ではないけれど自分の歌でもある、という趣旨の話をしていました。
シンガーソングライターは、自分で作り、自分で歌います。それを続けていると、表現できる範囲が自分の中だけに狭くなることもあるのでしょう。
主題歌では、映画やドラマの監督、原作者、登場人物、物語から「お題」を渡されます。それに向き合うことで、自分だけでは思いつかなかった場所まで行ける。
注文に応える仕事というと、自由が減るように感じます。しかし福山雅治にとっては、外から与えられた条件が新しい曲を生む入口になっています。
俳優として作品の内側を知り、シンガーソングライターとして作品の外へ届く歌にする。水野良樹が評価していたのも、この二つを長く両立してきたところでした。

東野圭吾が見ていた「ヒトツボシ」
番組では、『ガリレオ』シリーズの原作者である東野圭吾の生前のコメントも紹介されました。
映画『沈黙のパレード』の主題歌「ヒトツボシ」について、物語の中で亡くなった人物が、生きている人を思う歌として作られている。その視点に驚いたという内容でした。
原作者が作った物語を、俳優として受け取り、さらに音楽として別の方向から描く。原作者にもなかった視点が歌から返ってくるのは、作品の面白い広がり方だと思います。
福山雅治がその言葉をとても喜んでいたのも印象に残りました。
福山雅治はいくつもの仕事をしているのではない
福山雅治は、歌手、作詞家、作曲家、ギタリスト、俳優と、いくつもの肩書を持っています。
これまでは、それぞれで結果を出している多才な人だと思っていました。
今回のEIGHT-JAMを見て感じたのは、別々の仕事を器用にこなしているのではないということです。俳優として他人の心を考えた経験が歌詞になり、主題歌を作る経験が作品の読み方を深くし、人に曲を提供した経験が自分以外の声で考える力になる。
すべてがつながっています。
音楽だけを深く掘る方法もあります。しかし、福山雅治の場合は、俳優を続けたことが作詞作曲の幅を広げました。「音楽の人か、俳優の人か」と問われ続けたことが、いまの制作方法を作ったとも言えそうです。
EIGHT-JAMは、曲を聴くだけでは分からなかった作り手の考え方を残してくれます。
次に「Squall」や「最愛」、「ヒトツボシ」を聴くときは、歌詞の中で誰が見て、誰を思っているのかを少し考えてしまいそうです。
誰かに薦めるためではなく、あとで自分が思い出すための番組記録。福山雅治特集は、楽曲と演技は別のものではないと分かった回でした。
公式情報
※2026年8月30日の放送内容を、あとで自分が読み返すために記録したものです。

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