Xで、中国・深圳のロボタクシーについて書かれた投稿を読みました。
投稿者が現地のタクシー運転手へ「ロボタクシーが増えて、自分の仕事がなくなる危機感はないのか」と尋ねると、答えは「ないよ」だったそうです。
ちょうどWaymo、GO、日本交通は、2027年に東京で完全無人の配車サービスを商用化する準備について合意したと発表しました。最初の車両から始め、東京都内の主要地域で100台程度まで段階的に増やす計画です。ただし、2027年の開始は国と自治体の認可や、技術・運用の検証完了が前提になっています。
公式発表:Waymo「Opening our doors to Tokyo riders in 2027 with Nihon Kotsu and GO」
深圳ではすでにロボタクシーを見かける機会が増えているそうです。まさに仕事を代替される可能性がある本人へ聞いたところ、運転手さんは、技術が人間をすべて置き換えるのではなく、変わるのは仕事の種類だと答えました。
淘汰されるのは人ではなく、職種だ。
馬車から蒸気機関へ変わった時代を例に出し、未来の仕事を今の時点ですべて予測できるなら、それこそ神様のようなものだ、という考え方でした。
この投稿で僕がいちばん大事だと思ったのは、ロボタクシーを楽観するか悲観するかではありません。
憶測で不安にならず、状況をよく見て判断する。
ここだと思います。
「社会は何とかなる」と「自分が何とかなる」は別
最後に運転手さんは、中国の成語「杞人忧天(杞人憂天)」を挙げました。空が落ちてくるのではないかと心配した杞の国の人の故事で、日本語なら取り越し苦労に近い言葉です。
ただ、この「杞人憂天」という結論を、そのまま受け取るのも少し違うように思います。これは深圳の運転手さん一人の意見であり、中国の運転手全体を代表するものではありません。
技術が進めば新しい仕事が生まれます。これは歴史を見れば、その通りでしょう。ですが、移行する途中で仕事や所得を失った人が、新しい仕事へ簡単に移れるとは限りません。
社会全体で見れば何とかなったとしても、その途中で困る人はいます。「社会全体では何とかなる」と「自分自身が何とかなる」は別問題です。
ですから、「昔も大丈夫だったのだから、今回も心配はいらない」と楽観することもできません。反対に、まだ起きていないことを想像して、すべてが終わるように悲観する必要もないと思います。
技術は仕事より先に「作業」を変える
蒸気機関、電気、自動車、コンピューター、インターネット。新しい技術が出てくるたびに、その時代にある仕事を基準に未来を考えると、「仕事が消える」という予想になります。
しかし実際には、仕事が丸ごと一個ずつ消えるというより、仕事を構成している作業が分解されます。
タクシーなら、「車を運転する」という作業は自動化できるかもしれません。それでも、車両を管理する、清掃する、トラブルへ対応する、乗客を支援する、システムを監視する、配車を調整するといった作業は残ります。形が変わる仕事もあれば、今はまだ名前のない仕事が生まれる可能性もあります。
AIも同じように見えます。
文章を書く、調べる、計算する、画像を作る。以前は人が最初から最後まで行っていた作業を、AIへ渡せるようになりました。一方で、AIへの指示、結果の確認、誤りの修正、使ってよい情報かの判断など、新しく人間側に発生した作業もあります。
僕自身、AIを使っていると、仕事が消えたというより、作業の順番と自分が判断する場所が変わった、と感じることがあります。
未来を予想するより、今を観察する
「AIで自分の仕事はなくなるだろうか」と考えても、答えはなかなか出ません。分からない未来を延々と予想することになります。
それより、次のように考えたほうが現実的です。
- 自分の作業のうち、すでにAIへ渡せるものは何か
- 半年前にはできなかったのに、今はできるようになったことは何か
- AIへ渡した結果、人間側に新しく発生した作業は何か
これは予言ではなく観測です。
技術については、何が起こるかを正確に当てることより、実際に何が起こり始めているかを早く見つけるほうが役に立つことが多いと思います。
悲観もしない。楽観もしない。観察する。
単なる楽観論ではなく、変化に備えるための態度ですね。
未来は現在の延長線だけでは考えられない
自動車が普及する前の人に、馬車に関係する仕事が減ると説明することはできたでしょう。しかし、その先に高速道路、ガソリンスタンド、自動車保険、レンタカー、宅配便、ドライブスルー、郊外型ショッピングセンターまで生まれると想像するのは難しかったはずです。
AIについても、同じことが起こるかもしれません。
いまは「AIがライターを代替する」「プログラマーを代替する」「事務職を代替する」と、現在ある職業名を使って未来を考えています。ですが10年後から振り返れば、そもそも問い方が古かったと思う可能性もあります。
未来を正確に言い当てる必要はありません。変化が現れたときに、それを認識できればよいのだと思います。
未来が現在に入り込んだ瞬間を見逃さない
「杞人憂天だから心配するな」ではありません。
分からない未来を想像して怖がるより、変化がどこまで来ているのかを観察し続ける。
このほうが強い考え方です。
AIだけでなく、これから先を生きるうえでも使える姿勢だと思います。未来を当てようとするのではなく、未来が現在に入り込んできた瞬間を見逃さない。
深圳のロボタクシーの話は、そのことを考えるにはなかなかよい題材でした。
※リンク先のX投稿をきっかけにした個人的な考察です。自動運転や雇用の将来を断定するものではありません。


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