日経平均とS&P500の過去40年(1985~2025年)の推移と変化

1985年から2025年にかけて、日経平均株価指数とS&P500指数はそれぞれ大きな暴落と暴騰を経験してきました。特に1980年代後半~1990年代初頭の日本株1990年代末の米国株2000年代後半の世界的金融危機2020年のコロナ禍など、歴史的なショックが相次ぎました。このページでは、この40年間の日経平均とS&P500の推移を年単位で振り返り、その特徴や原因を解説します。

1. 1985~1995年:日本株が大暴落した時代

1985年(昭和60年):日米の為替相場でプラザ合意が発表され、日円高相場が始まります。日経平均株価は前年12月の12,939円から12月には15,826円まで上昇しました。米国株価も上昇し、S&P500指数は1985年12月に約1,600ドル前後に達していました。日本株は円高と景気拡大の中で急速に上昇しました。

1986年(昭和61年)「平成バブル」が本格化し、日本株はさらに高騰します。日経平均は10月には16,911円まで上昇しました。一方、米国株も上昇を続け、S&P500は12月に約2,000ドルを上回りました。日本の不動産・株式市場では投機的な買い盛りが見られ、景気後退を懸念する声も出ていました。

1987年(昭和62年)ブラックマンデー(1987年10月19日)に世界的な株価暴落が起きました。日経平均はその日で約3,836円下落し、1日で14.9%も急落しました。終値は31,458.42円になり、これはブラックマンデー直後の下げ幅で史上最大の下落を記録しました。米国ではダウ平均が1日に22.6%(508ドル)暴落し、世界の株式市場に大きな混乱が生じました。日本の銀行は資金供給を増やして市場安定に努め、翌年には日経平均は暴落前の水準を取り戻しました。

1988年(昭和63年):ブラックマンデーの影響を受けた1987年の終値は16,889.58円でしたが、1988年は日本株が大きく反発しました。年初には約21,000円だった日経平均は3ヶ月で30,000円を超え、1989年1月には38,957.44円と史上最高値を更新しました。米国株も1987年の暴落を急速に回復し、S&P500は1989年12月には約3,700ドルまで上昇しました。日本では不動産価格の高騰も続き、バブル経済が最盛期を迎えました。

1989年(平成元年):この年の12月31日、日経平均は38,957.44円と史上最高値を記録しました。米国のS&P500も1989年12月には約3,700ドルを超えていました。しかし、これはバブル経済の頂点であり、翌年以降の景気後退と金融規制強化により、日本株は急落し始めます。

1990年(平成2年):日本株の大暴落が本格化します。年初から不動産価格が下落し始め、銀行は不良債権対策で貸し渋り・貸し剥がしを行いました。この中で日経平均は1月に38,957円と最高値を更新した後、急落しました。9月には2万円台に下がり、12月には約23,000円にまで下落しました。米国では1990年にイラク侵攻に伴う原油価格高騰や米国景気後退の懸念で株価が低迷しましたが、S&P500は1990年末には約3,600ドルでした。日本株はバブル崩壊により5年で75%もの価値を失い、景気停滞と金融不安の中で苦境に陥りました。

1991年(平成3年):日本株は続落し、1991年12月には約16,000円台にまで下落しました。4月には米国がイラクから撤退し原油価格が下落するなど米国景気が回復に向かいましたが、日本では不動産市場の崩壊と不良債権問題で景気停滞が続き、日本株は低迷続きでした。

1992年(平成4年):年初から日本株は2万円台に戻り、7月には1万5,000円台まで下がりました。その後は底打ち状態になり、年内は1万5,000円前後で推移しました。一方、米国株はS&P500が約4,000ドルを超え、8月には史上最高値を更新しました。日本株は「平成不況」に見舞われ、長期的な下落局面を迎えました。

1993年(平成5年):日本株は底打ち後に小幅な反発を見せました。年初の約15,000円から上昇し、年内は1万7,000円台前後で推移しました。米国株も1月にはS&P500が約4,500ドルまで上昇しましたが、7月には約4,000ドルまで急落しました(原因はインフレ懸念と景気後退)。日本では「インフレコントロール(景気抑制)」のための金融緩和政策が行われ、株価は緩やかに上昇傾向でした。

1994年(平成6年):日本株は底打ち後に2万円台に戻りました。年内は約2万2,000円~2万3,000円台で推移しました。米国株もS&P500が2月に約4,600ドルまで上昇しましたが、その後インフレ懸念で金利が引き上げられると下落し、12月には約4,000ドル台に下がりました。日本では銀行の不良債権問題が依然として深刻で、株価は景気の先行指標として低迷し続けました。

1995年(平成7年):日本株はバブル崩壊からの下落局面が続き、1月には約2万2,000円台まで下がりました。しかし、5月には米ドル相場での日円高が緩和されると上昇し、8月には約2万6,000円台に達しました。その後も底打ち状態で推移し、年内は約2万5,000円前後でした。米国株は1995年にはインフレ抑制策により金利が引き上げられましたが、S&P500は年内に約5,000ドルを超え、史上最高値を更新しました。日本株は景気停滞の中で苦境にありましたが、米国株はインターネットブームの前兆として急騰し始めていました。

この10年間(1985~1995年)で日本株はバブル経済の頂上に達し、その後バブル崩壊による大暴落と長期的な低迷期を経験しました。一方、米国株は1987年のブラックマンデー後には迅速に回復し、1990年代前半には高値更新を続けました。特に1995年以降、米国株はインターネットブームが起きる前の準備段階となり、1990年代後半に本格的な暴騰につながります。

2. 1996~2005年:米国株は大暴落と大暴騰、日本株は低迷続き

1996年(平成8年):日本株は景気後退局面の中で底打ち状態が続き、1月には約2万5,000円台まで下がりました。その後小幅な反発を見せ、年内は約2万6,000円~2万7,000円台で推移しました。米国株はS&P500が9月に約6,000ドルを超え、史上最高値を更新しました。インターネット企業の台頭や投資家の買い盛りで株価は高騰していましたが、米国連邦準備制度理事会(FRB)はインフレ懸念から1995年末~1996年にかけて金利を引き上げ始めました。

1997年(平成9年):日本株は年内は約2万6,000円~2万7,000円台で推移しましたが、7月にはアジア通貨危機の発生で一時約2万3,000円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、年内は2万5,000円台前後でした。米国株は1997年にはアジア通貨危機により金利が引き下げられ、S&P500は年内に約7,000ドルを超えました。また1997年10月には米国でインターネット企業の株価暴落(ナスダック暴落)が起き、株式市場に乱れが生じました。日本では銀行の不良債権問題が依然深刻で、1997年11月には山一証券の破綻など金融不安が高まりました。

1998年(平成10年):日本株は年初の約2万6,000円から4月には約1万4,000円台まで急落し、バブル崩壊後の最安値に迫りました。この急落は米国のリーマン・ブラザーズの破綻が世界的な金融危機を引き起こした2008年と並ぶ、日本株の大暴落の一つです。米国では1998年8月にアメリカン・ハイディ・ファイナンシャルの破綻やロング・テーマの倒産などが相次ぎ、S&P500は8月に約7,000ドル台から10月には約6,000ドル台に急落しました。しかしその後FRBが大胆な金利引き下げを行い、株価は12月には約8,000ドルまで上昇しました。日本では景気後退の深さから「失われた十年」と呼ばれる時期に入り、日本株は低迷続きでした。

1999年(平成11年):日本株は年内は約1万6,000円~1万7,000円台で推移しました。3月には米国のナスダック指数が史上最高値を更新しましたが、日本株は依然として底打ち状態でした。米国株はインターネット企業の暴騰でS&P500が1月に約1,000ドル、8月には約1,300ドルを超えました。また12月にはナスダック総合指数が5,048.62と史上最高値を記録し、ITバブルが最盛期に達しました。一方、日本では不良債権対策が進む中で景気後退は続き、企業の業績悪化も深刻でした。

2000年(平成12年):日本株は年内は約1万7,000円~1万8,000円台で推移しました。3月には米国のナスダック指数が5,048.62と史上最高値を更新した後、急落し始めました。これがITバブルの崩壊につながり、米国株は2000年3月から急落局面に入ります。S&P500も3月には約1,550ドルまで上昇しましたが、9月には約1,100ドル台に下がりました。日本株はITバブルの影響を受けず、そのまま底打ち状態で推移しました。

2001年(平成13年):日本株は年内は約1万7,000円~1万8,000円台で推移しました。9月11日に米国でテロ事件(アルカイダによる世界貿易センター爆破)が起き、米国株はその翌日に大暴落しました。S&P500は約1,200ドルから急落し、9月17日には約1,000ドル台に下がりました。その後も株価は低迷し、2002年10月には約776ドルまで下がりました。一方、日本株は底打ち状態のまま推移しました。日本ではITバブルの崩壊やアジア通貨危機の影響で景気後退が続き、「失われた十年」の谷底にありました。

2002年(平成14年):日本株は年内は約1万5,000円~1万6,000円台で推移しました。10月にはナスダックが約776ドルまで下がり、ITバブルの底に達しました。米国株はその後徐々に反発し始め、S&P500は2003年10月には約1,000ドルを超えました。日本では不良債権対策や企業改革が進み、景気後退は緩やかに収束していました。

2003年(平成15年):日本株は年内は約1万5,000円~1万6,000円台で推移しました。4月にはSARS(重症急性呼吸器症候群)の影響で世界株式が急落しましたが、日本株はその後底打ち状態で推移しました。米国株はSARSの影響でS&P500が4月に約800ドル台に下がりましたが、その後急騰し、10月には約1,000ドルを超えました。日本では政府の景気対策が効いて景気後退は収束し、企業の業績も改善に向かいました。

2004年(平成16年):日本株は年内は約1万7,000円~1万8,000円台で推移しました。4月には米国でインフレ懸念から金利が引き上げられると株価が急落しましたが、その後底打ち状態に戻りました。米国株はS&P500が1月に約1,200ドル、10月には約1,200ドル台で推移しました。米国では景気回復が続き、企業の業績も改善していました。

2005年(平成17年):日本株は年内は約1万8,000円~1万9,000円台で推移しました。12月には日経平均が約19,000円を超え、12月30日には約18,958円まで上昇しました。米国株はS&P500が1月に約1,200ドル、12月には約1,200ドル台で推移しました。米国では景気拡大が続き、企業の業績も堅調でした。日本では景気後退からの回復が続き、不良債権問題も解消しつつありました。

この10年間(1996~2005年)で日本株は底打ち状態にあり、1990年代後半から2000年代初頭にかけて長期的な低迷期を経験しました。一方、米国株はITバブルとその崩壊、さらにはテロ事件といった大きなショックを経験しつつも、最終的には2000年代半ばには底打ち後に反発しました。特に2003年以降、米国株は景気回復と低金利環境の下で再び高騰局面に入ります。

3. 2006~2015年:米国株は史上最高値を更新、日本株は「失われた十年」を経験

2006年(平成18年):日本株は年内は約1万8,000円~1万9,000円台で推移しました。1月には日経平均が約19,000円を超えましたが、その後は12月に約16,000円台に下がりました。景気後退からの回復が緩やかで、企業の業績も伸び悩んでいました。米国株はS&P500が1月に約1,200ドル、10月には約1,400ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、低金利環境の中で株価は高騰しました。

2007年(平成19年):日本株は年内は約1万7,000円~1万8,000円台で推移しました。3月には米国でサブプライムローン問題が顕在化し、株式市場に乱れが生じました。S&P500は3月に約1,400ドルから急落し、7月には約1,200ドル台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、7月には約1,8261円まで戻した日経平均も下落し、8月には1万5,000円台にまで下がりました。10月には日経平均がバブル崩壊後の最安値(7,162円90銭)を更新しました。米国では2007年以降、サブプライムローン問題が世界的な金融危機へと発展しました。

2008年(平成20年)9月15日、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズが破綻し、世界的な金融危機が本格化しました。この日を境に、日本株と世界株式市場は大暴落しました。日経平均は9月15日に約12,000円台から下落し、10月27日にはバブル崩壊後の最安値(7,162円90銭)を更新しました。10月28日には一時7,000円割れまで下落し、6,994円90銭まで下がりました。米国ではS&P500が9月15日に約1,200ドルから急落し、10月9日には約776ドルまで下がりました(バブル崩壊後の最安値)。この「リーマン・ショック」により、世界の株式市場は6ヶ月間で約44%もの下落を記録しました。日本では金融機関の破綻や景気後退が深刻化し、「失われた十年」の谷底にありました。

2009年(平成21年):日本株は1月に約7,000円台で推移しましたが、3月には米国の金融緩和策や経済対策の効果で反発し始めました。日経平均は3月9日に約7,055円まで下落し、バブル崩壊後の最安値となりました。その後3月11日には急騰し、6月12日には約1万円台に戻りました。米国ではS&P500が3月9日に約676ドルまで下がり、バブル崩壊後の最安値となりました。その後は急速に反発し、6月には約950ドル、12月には約1,100ドルを超えました。世界の株式市場はリーマン・ショック後、約2年(22ヶ月)をかけてショック前の水準を回復しました。日本では政府の経済対策や企業の業績改善で景気後退が収束し、日本株は底打ち後に大きく反発しました。

2010年(平成22年):日本株は年内は約1万~1万1,000円台で推移しました。1月には約1万1,000円まで上昇しましたが、5月には欧州債務危機の影響で一時約1万円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、年内は約1万1,000円台前後でした。米国株はS&P500が1月に約1,100ドル、12月には約1,200ドルを超えました。米国では景気回復が続き、株価は底打ち後に再び高騰局面に入りました。

2011年(平成23年):日本株は年内は約1万~1万2,000円台で推移しました。3月11日に東日本大震災が発生し、その影響で日本株は大暴落しました。日経平均は3月14日に約9,500円台まで下がりました。その後底打ち状態に戻り、3月16日には約1万1,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約1,200ドル、8月には約1,100ドル台に下がりました(原因は欧州債務危機と米国の債務上限問題)。その後底打ち状態に戻り、12月には約1,200ドルを超えました。日本では震災後の復興需要で景気が一時回復しましたが、政府の財政規制策で景気は再び低迷しました。

2012年(平成24年):日本株は年内は約9,000円~1万円台で推移しました。1月には約9,000円台に下がりましたが、その後底打ち状態に戻り、12月には約1万1,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約1,200ドル、12月には約1,400ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2013年(平成25年):日本株は年内は約1万~1万2,000円台で推移しました。4月には新総理大臣・安倍晋三が「アベノミクス」を発表し、日本株はその後大暴騰しました。日経平均は4月に約1万2,000円から上昇し、12月には約1万5,000円台に達しました。米国株はS&P500が1月に約1,400ドル、12月には約1,800ドルを超えました。米国ではインフレ抑制策により金利が引き上げられましたが、景気拡大が続き株価は高騰しました。

2014年(平成26年):日本株は年内は約1万4,000円~1万5,000円台で推移しました。1月には約1万5,000円を超えましたが、その後は12月に約1万3,000円台に下がりました。景気後退の懸念や円高の影響で株価は低迷しました。米国株はS&P500が1月に約1,800ドル、12月には約2,000ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2015年(平成27年):日本株は年内は約1万2,000円~1万3,000円台で推移しました。1月には約1万3,000円を超えましたが、その後は12月に約1万2,000円台に下がりました。円高と景気後退の懸念で株価は低迷しました。米国株はS&P500が1月に約2,000ドル、12月には約2,000ドル台で推移しました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

この10年間(2006~2015年)で日本株は「失われた二十年」の一部とも言われる期間を経験しました。2000年代後半の金融危機で底打ちした後、2013年にアベノミクスによる反発が見られましたが、その後景気後退の懸念や円高の影響で再び低迷しました。一方、米国株は2000年代後半の金融危機で底打ちした後、2010年代にかけて史上最高値を次々と更新し、「長期的な緩やかな上昇局面」(ブル市場)に入りました。特に2013年以降、米国株は低金利環境の下で急速に高騰し、2015年にはS&P500が約2,000ドルを超えました。

4. 2016~2025年:米国株は史上最高値更新を繰り返し、日本株は底打ち後に反発

2016年(平成28年):日本株は年内は約1万5,000円~1万6,000円台で推移しました。1月には約1万5,000円を超えましたが、6月には英国のEU離脱(ブレグジット)が決まると一時約1万3,000円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、12月には約1万6,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約2,000ドル、12月には約2,200ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2017年(平成29年):日本株は年内は約1万7,000円~1万8,000円台で推移しました。1月には約1万8,000円を超えましたが、その後は12月に約1万7,000円台に下がりました。円高と景気後退の懸念で株価は低迷しました。米国株はS&P500が1月に約2,200ドル、12月には約2,500ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2018年(平成30年):日本株は年内は約1万8,000円~1万9,000円台で推移しました。1月には約1万9,000円を超えましたが、12月には約1万8,000円台に下がりました。米国株はS&P500が1月に約2,500ドル、12月には約2,400ドル台で推移しました。米国ではインフレ懸念から金利が引き上げられ、株価は下落局面に入りました。日本では景気後退の懸念や円高の影響で株価は低迷しました。

2019年(令和元年):日本株は年内は約2万~2万1,000円台で推移しました。1月には約2万1,000円を超えましたが、8月には米中貿易摩擦の激化で一時約1万8,000円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、12月には約2万1,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約2,500ドル、12月には約3,200ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2020年(令和2年)2月24日に新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に報じられると、世界株式市場は急落局面に入りました。日本株の日経平均は2月24日に約23,000円台から下落し、3月9日には約14,000円台に下がりました。3月12日には約13,000円台、3月16日には約12,000円台にまで下落しました。これは1987年のブラックマンデー以来、日本株の最大の一時下落率です。米国ではS&P500が2月24日に約3,300ドルから下落し、3月9日には約2,300ドル台に下がりました。その後3月23日には約2,237ドルまで下がり、バブル崩壊後の最安値となりました。世界の株式市場は3ヶ月間で約34%もの下落を記録しました。この「コロナショック」により、世界の株式市場はリーマン・ショック以来の大暴落となりました。日本では政府の緊急事態宣言や経済対策により、株価は3月下旬以降に急速に反発し始めました。日経平均は3月26日に約15,000円台に上昇し、4月17日には約20,000円台に戻りました。米国ではS&P500が4月7日に約2,746ドルまで上昇し、6月には約3,000ドルを超えました。世界の株式市場はコロナショック後、約2ヶ月でショック前の水準を回復しました。日本では景気後退が深刻化しましたが、日本株は急落後に迅速に反発しました。

2021年(令和3年):日本株は年内は約2万~2万5,000円台で推移しました。1月には約2万5,000円を超えましたが、2月には約2万3,000円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、12月には約2万7,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約3,800ドル、12月には約4,700ドルを超えました。米国では景気回復と金融緩和の下で株価は高騰しました。

2022年(令和4年):日本株は年内は約2万~2万5,000円台で推移しました。1月には約2万7,000円を超えましたが、4月には米国のインフレ高騰による金利引き上げ予想で一時約2万2,000円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、12月には約2万5,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約4,700ドル、12月には約3,800ドル台で推移しました。米国ではインフレ高騰と金利引き上げで株価は下落局面に入りました。

2023年(令和5年):日本株は年内は約2万~2万5,000円台で推移しました。1月には約2万6,000円を超えましたが、10月には約2万3,000円台に下がりました。円高と景気後退の懸念で株価は低迷しました。米国株はS&P500が1月に約3,800ドル、12月には約4,700ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2024年(令和6年):日本株は年内は約2万~2万5,000円台で推移しました。1月には約2万5,000円を超えましたが、8月には米中貿易摩擦の激化や米国の金利引き上げによるリスク回避動きで一時約2万2,000円台に下がりました。その後底打ち状態に戻り、12月には約2万5,000円台に上昇しました。米国株はS&P500が1月に約4,700ドル、12月には約5,000ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

2025年(令和7年):日本株は年内は約2万~2万5,000円台で推移しました。1月には約2万5,000円を超えましたが、10月には約2万3,000円台に下がりました。円高と景気後退の懸念で株価は低迷しました。米国株はS&P500が1月に約5,000ドル、10月には約5,500ドルを超えました。米国では景気拡大が続き、株価は底打ち後に高騰しました。

この10年間(2016~2025年)で日本株は底打ち後に大きな反発を見せました。2020年のコロナ禍で急落した後、日本株は政府の経済対策と企業の業績改善で迅速に回復し、2021年以降は2万円台を超えて推移しました。特に2023年には日経平均が2018年以来の高値を更新し、2025年には約5万円に達するといった動きもありました。一方、米国株は2016年以降も史上最高値を次々と更新し、ブル市場を継続しました。2020年のコロナ禍で底打ちした後、米国株は景気回復と金融緩和の下で急速に高騰し、2025年にはS&P500が約5,500ドルを超えました。

5. 40年間のパフォーマンス比較と特徴

以上のように、1985~2025年の40年間で日経平均とS&P500の推移には大きな差がありました。長期的な視点では、米国株の方が日本株よりもパフォーマンスが高く、過去30年でS&P500は約12倍成長したのに対し、日経平均はわずか2.7倍に過ぎません。実際、2022年末時点では日経平均は約2万5,000円で、1985年の約1万3,000円を2倍以上には上昇していますが、S&P500は1985年の約1,600ドルから2022年末の約4,000ドル台まで上昇しており、約2.5倍の成長に留まります。このことから、米国株は日本株よりも長期的な収益性が高かったことが分かります。

しかし、中長期のパフォーマンスは時期によって変わります。例えば、1980年代後半~1990年代初頭は日本株が大暴落していた時期で、米国株が高騰していました。一方、1990年代後半~2000年代初頭は米国株がITバブルによる大暴落と大暴騰を経験し、日本株は低迷していました。2000年代後半は世界的金融危機により両者とも暴落しましたが、2010年代には米国株が底打ち後に高騰し、日本株は底打ち状態に留まりました。2020年代には両者ともコロナ禍で暴落しましたが、その後は日本株が底打ち後に反発し、米国株は再び高騰局面に入りました。

この40年間の推移を要約すると、日本株は「暴落期間の長さ」が特徴的です。1987年のブラックマンデー、1990年代のバブル崩壊、2008年のリーマン・ショック、2020年のコロナショックなど、大きな暴落が相次ぎ、その後の反発は比較的短期間でした。例えば、ブラックマンデーの急落前を回復するまでに約5ヶ月かかりました。またリーマン・ショック後の急落も短期間で底打ちし、その後は2年弱でショック前の水準に回復しました。一方、米国株は暴落後の反発が比較的迅速で、ブラックマンデーでは暴落後の2営業日で下落の半分以上を回復しました。ITバブル崩壊後も約2年でS&P500は底打ちし、その後は約5年で暴落前の水準を超えました。グローバル金融危機後も約2年でS&P500は底打ちし、その後は約5年で暴落前の水準を超えました。コロナショック後も約2ヶ月でS&P500は底打ちし、その後は約1年で暴落前の水準を超えました。このように、米国株は暴落後の回復が比較的迅速であるのに対し、日本株は暴落後の回復が緩やかであるという傾向があります。

この差の背景には、経済構造や金融政策の違いが考えられます。米国株は世界の資金が集まる市場であり、リスク資産としての地位が強いため、暴落後には資金が再流入しやすいです。一方、日本株は国内資金が主体であり、バブル崩壊後の金融不安や人口減少などの構造的要因で、長期的な低迷局面を経験しました。また、日本の金融政策は1990年代以降長期的に緩和されており、金利が低水準で推移したことも、株価上昇の妨げとなった要因です。

しかし、近年の日本株は企業の業績改善やマネタリーファイナンスの変化などで底打ち局面から脱却しつつあります。特に2020年代には、日本政府の経済対策や企業の資本配当強化により、日本株のバリュエーションが改善し、世界の投資家から注目されるようになりました。このことから、日本株も将来的に長期的な上昇局面を迎える可能性があります。

以上、1985~2025年の40年間で日経平均とS&P500の推移を年単位で振り返りました。大きな暴落と暴騰が繰り返される中で、日本株は底打ち後に反発し、米国株は暴落後に迅速に回復しています。長期的な視点では米国株の方がパフォーマンスが高かったものの、中長期の視点では時期によって優劣が変わります。歴史的な経験から学ぶと、「落ちたら上がる」を繰り返す市場の規則性がある一方、暴落の原因(景気後退や金融危機など)によって回復に時間がかかる場合もあります。投資家としては、過去の歴史を踏まえつつ、今後の市場環境に柔軟に対応して資産運用を行うことが重要でしょう。

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