わたしたちは毎日、いろんな人と関わって生きています。
だけど時々、「この人とは、どうしてもわかりあえない」と感じることがあります。言
葉が通じないわけじゃない。
意地悪をされているわけでもない。
それなのに、何を言っても伝わらないように感じたり、逆にイライラさせてしまったり──。
そんな時、「もう関わるのをやめた方がいいのかな」「この人は変わらない」と思うかもしれません。
でも、「わかりあえない」ということ自体が、もしかすると「わかろうとしている」証かもしれない。
今回は、「理解しあえない人とのかかわり方」について、常識にとらわれず考えてみました。
よかったら、少しだけ立ち止まって読んでみてください。
理解しあえない人と、どう付き合えばいいんだろう?
>「人間って、そもそも『完全にわかりあう』ことができると思いますか?」
たとえば、同じ景色を見ていても、感じ方は人それぞれです。
「きれい」と思う人もいれば、「さびしい」と思う人もいる。
つまり、同じものを見ても、心の中では違う世界が動いているんです。
ここで大事なのは、「違いがあることは当たり前」という前提です。
「わかりあえない」のではなく、「もともと違っている」だけ。
この前提に立てると、ちょっと気が楽になります。
無理に同じ考えを持とうとしなくていいし、
「どうしてわかってくれないの!」と怒る必要もなくなります。
相手を変えるのではなく、「自分の見方」を変えてみる
わかりあえないと感じたとき、よく「相手が悪い」「相手がズレてる」と思ってしまいがちです。
でも、それは本当に「事実」なんでしょうか?
もしかすると、「自分の正しさ」というレンズを通して見ているだけかもしれません。
たとえば、ある人が「朝は元気が出ない」と言ったとします。
あなたが「朝はやる気の出る大事な時間だ」と思っているなら、
つい「そんな考えはダメだよ」と言いたくなるかもしれません。
でも、それは「その人の世界」の中ではちゃんと意味があること。
体調、生活リズム、気分の波──その人なりの「理由」があるんです。
だからこそ、「相手の話を、まずはそのまま聞いてみる」ことが大切です。
正しいかどうかを決める前に、「ああ、そういう感じ方もあるんだな」と受けとめてみる。
それだけで、関係は少しだけ変わっていきます。
「わかりたい」と思うこと、それ自体がかかわり
わかりあえない人と関わるとき、一番大事なのは「わかろうとする姿勢」と思っています。
たとえ相手があなたを拒んでも、あなたが「わかりたい」と思い続ける限り、そこには“対話”があります。それは、とても人間らしい営みです。
どれだけ考えても、完全に人の気持ちを「理解」することはできません。
でも、「理解しようとすること」がどれほど価値のある行動かは、はっきりわかります。
「わかろうとすること」=「その人に興味を持ち、敬意を払うこと」です。
たとえ完全に理解できなくても、
それだけで人と人との間には、“あたたかい何か”が生まれます。
「正しさ」ではなく、「なぜそう考えるのか」を見てみる
人は、それぞれ「ちがう歴史」「ちがう経験」「ちがう痛み」を持っています。
そして、その全部がその人の「考え方」をつくっている。
だから、「その考えは間違ってる」と決めつけるのではなく、
「どうしてそう思うの?」と聞いてみてほしい。
その問いの中に、あなたと相手をつなぐ“橋”がかかるかもしれません。
最後に──それでも、わかりあえないときは?
いろいろやってみても、それでもうまくいかないときは──
「距離を取る」という選択肢も、じゅうぶんにアリです。
大事なのは、「自分を守ること」です。
無理して付き合い続けることで、自分がしんどくなってしまうなら、
それは“自分との関係”を壊すことになります。
わかりあえない人と距離を置くことは、「逃げ」じゃありません。
それは、自分と相手の両方にとって「誠実な選択」です。
おわりに:それでも人と関わり続ける理由
人は、完全にわかりあえないかもしれない。
でも、「わかりたい」と願うことはできる。
それだけで、関係は変わる。
心は、少しずつ近づいていく。
そして、そうやって誰かと関わろうとすることが、
きっと「自分を知ること」につながっていきます。
わかりあえない人がいるってことは、
この世界には“自分と違う世界”が、ちゃんとあるってこと。
それって、実はすごくワクワクすることなんじゃないでしょうか。
コメント